デバイスのディスプレイをグレースケールにして一週間過ごした結果
数か月前にNHKで、スマホ中毒について特集されている番組をみた。いわく、メールやメッセージなどのプッシュ通知の来る都度スマホを見るようなスマホに「使われる」使い方でなく、自分の意志でスマホを使うようにしなさい、プッシュ通知の来るたびにスマホを見るのはパブロフの犬と同じである、夜寝る前にスマホを使うのはやめなさいなど色々と忠告があったが、その中に「スマホの画面が発する光はもとより、画面のきつい色使いが脳の興奮をもたらすとの説があった。
日頃脳への負担を軽くしたいと思っている僕はそこで、だったら画面をモノクロにすれば多少は脳の興奮を抑えられるのではないかと思い、スマホとパソコンの表示をカラーからモノクロ(グレースケール)に変更して過ごしてみた。
スマホ(iPhone)では、ホームボタンを3回押すとモノクロ←→カラーと変更するように設定し、パソコンはグレースケール表示固定にした。
まず、当初の目論見だった脳の興奮を減らす効果だが、これはあったような気がする。なんとなくまったりと暮らせる。今まで、地方都市の国道沿いの看板のような本当にどぎつい色使いを常に見て生きていてんだなと思うに十分の違いだった。
上記は僕のブログをスマホで見た状態だ。これをグレースケール表示にすると以下のようになる。
もともとカラー要素が少ないので違いがわかりにくいが、グレースケールだとなんとなく安心できるような気がするのは気のせいだろうか。
表示をモノクロにしたデメリットももちろんある。大方の予想通り、色に意味のあるユーザーインターフェースで意味を十全に受け取れなくなる点である。
これは某フリマアプリで発送した商品がどのようなステイタスであるかを示す画面である。上記の場合、商品を出荷したばかりな状態であるとわかる。これをモノクロで見るとどうなるだろうか。
このようにステイタスがまったくわからなくなる。蛇足だが、このアプリは常にやれ予算が大きいだの開発手法が素晴らしいだの喧伝してる割には、色弱どころか色盲にも対応していないのがなんだかなぁである。
結局、上記アプリのように、モノクロでの使用を想定していないユーザーインターフェースが多すぎて、モノクロ画面で生活するのはかなり困難なため、一週間程度で表示は元のカラーに戻してしまった。ユーザーインターフェイス設計担当各位におかれては、グレースケールでも使用できるように設計を再考していただきたい。